School symbol and school song
校歌
作詞家は、明治39年から12年間にわたり、本校で購読・作文などを担当し、教頭も務めた国語科教師桜井久太郎先生。
作曲者は、「金太郎」「浦島太郎」など数多くの唱歌を手がけた田村虎蔵先生。
作曲当時は、「メロディー」「ホワイトライン」などの外国語の歌詞が問題となって、「未予稿」として発表されていました。その後、職員・生徒らに愛され、口ずさまれ、歳月の流れとともに予稿となり、正式な校歌となりました。このため、正式な制定時期の記録がありませんが、大正三年度ごろから歌われるようになったと伝えられています。
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